All rights are reserved under the copyright of Yasuyuki Ayukawa (2023)
日本の技、日本の品質、日本の味わいを掲げ、グローバル市場に挑戦している企業様を訪ねています。
世界が追い越していったのか、はたまた日本が衰退したのかわかりませんが、昨今、経済・社会・生活の豊かさなど様々な分野で、世界における日本の地位低下が言われています。しかし本当にそうでしょうか?
日本には世界に誇れる技術や伝統、文化があって、多くの企業様の努力によりその価値が各国で認められています。さらに、そうした既存プレーヤーに加えて、新たに自社の商品・技術の世界への発信にチャレンジしている企業様もあるのです。
このシリーズでそのような企業様が、いかにグローバル市場に挑戦されているのか、皆様に紹介したいと思います。
新シリーズとして、
九州佐賀の
皆様の活動、
特に
海外市場に向けた
取り組みを
ご紹介します。
今回ご紹介するのは
矢野酒造様です。
(https://yanoshuzou.jp)
矢野酒造様は有明海に面した鹿島市で200年以上にわたり酒づくりに取り組んでおられる酒造会社でいらっしゃいます。
有明海の北部にあたるここ鹿島の海岸は遠浅で、潮の満ち引きも大きく、干潮となれば広大な干潟を見ることができます。
この海岸は「HIZEN KASHIMA-HIGATA」として、ラムサール条約*にも登録されています。
*ラムサール条約:水鳥の生息環境を保全するための条約、水鳥の生息環境として国際的に重要な湿地を条約批准国が指定し、保護をすすめるというもの)
有明海の干潟で有名なのが、愛らしい干潟のアイドル、ムツゴロウです。干潟のうえで生活するハゼの一種で、干潮時には市内の干潟にこのようにたくさん見ることができます。
その干潟を盛り上げようというイベントもあります。干潮の時を利用して行われる運動会、鹿島ガタリンピックです。
市外、県外からの参加も多いものです(保護対象ということで参加人数の限りもあるのですが)。
矢野酒造様の当主、矢野元英様も運営事務に携わっておられます。
コロナのため一時退会は中断されていましたが、2023年は再開、6月4日に行われます
さて、矢野酒造様で今回お話を伺ったのは、その矢野酒造様の9代目当主、杜氏でもいらっしゃる矢野元英様です。
矢野酒造様は、どのような道を歩まれてこられたのでしょうか。
200年のあゆみ
酒づくりと
地域貢献
矢野酒造様が酒づくりに取り組まれている鹿島市は、干潟が有名であるほか、麦や芋などの焼酎造りが非常に盛んな九州のなかで、日本酒の造り手の皆さんが集中していることで異彩を放っているところです。
もともと鹿島市は鹿島藩の城下町で、かつては市中に大小あわせて50軒ほどの酒蔵がありました。
鹿島藩はいわゆる薩長土肥の一角であった佐賀藩の支藩、鹿島鍋島氏が藩主の家柄でした。江戸時代の中期以降、耕作面積が増えたことや米の生産能力があがったことで鹿島藩でも米の余剰が出るようになりました。
さらに当時の日本全体で産業・商業が振興し、貨幣経済が発展するなかで、鹿島藩でも米を中心とした経済活動に留まらず産業を発展させる必要もあり、余剰米対策と併せて、藩内の有力者による酒造りを奨励する政策をすすめておりました。
そうした鹿島藩の酒造り奨励策の白羽の矢が立ち、木下様という方が寛政年間の1796年に酒造りを始められたのが、矢野酒造様の創業です。
当時は現在の立地より山に近く、水の豊富なところに酒蔵があったとのことです。しかし当時の酒造りはあくまでも副業の範囲のものでした。これを本業とし規模を大幅に拡大したのが、3代目当主、権右衛門と言う方です。
今の純米大吟醸のブランド、「権右衛門」にもそのお名前が残っています。そして今から120年前、明治期に現在の矢野酒造様の立地、JR長崎本線の肥前鹿島駅から徒歩5分の場所に酒蔵を移されました。今の矢野酒造様の蔵とお店は当時のもので、竹葺き屋根の木造建築であるその建物は市の指定文化財になっています。
明治から大正、昭和初期にかけ、当時の当主でいらっしゃった矢野和良様は矢野酒造を事業を大きく拡大されました。第二工場も建てられたほか、今でも使われている「竹の園」という銘柄を、大正天皇のご即位にあわせて立ち上げ、また鹿島を代表する名酒という位置づけにまで押し上げられました。
また当時矢野酒造様は、酒造りのみならず、地域の問題にも取り組み、貢献されていました。
消防団を組織されたほか、山地の水脈を掘り当て、私財を投げうって市に上水道を敷設されました。
鹿島市の市街地は平地で上水として主に使用されていた井戸水は必ずしも衛生的でなく、チフスが流行するなどの問題も起こっていたかなか、このような公共的な事業を私財により起こされたということです。
その後矢野酒造様も戦後から高度成長期にかけて、順調に事業を展開されていました。当時は日本酒の需要が非常に旺盛で、大手の全国銘柄の酒蔵でも生産が追い付かず、矢野酒造様でもOEM供給をされていたということです。
しかし日本酒需要の低迷、市場の縮小とともに日本酒事業も縮小し、矢野酒造様も苦境に立たされることとなりました。
そのなかで8代目、先代のご当主のときに杜氏を外から(当時は対馬から)お呼びするのではなく、当主自らが杜氏となり、経営から酒造りの設計、製造まで手掛けるようになりました。
そうしたなかで新たに立ち上げたのは純米酒のブランドである「肥前蔵心」です。
戦後の高度成長期の矢野酒造様は「藤鹿政宗」や「竹の園」など、普通酒を含めて30を超える銘柄のお酒をつくられていました。
しかし市場の縮小に伴い、醸造アルコールを添加しない純米酒に集中する方向に舵を切られてゆきました。
そして、9代目当主の元英様の代となった今では、「肥前蔵心」ブランドが全体の80%となり、普通酒などのアルコールを添加するグレードは2-3年に1度仕込むくらいまでの縮小となりました。
矢野酒造様の「肥前蔵心」を代表する銘柄は「肥前蔵心純米吟醸」です。きりりとひきしまった味わいながら、のみごだえのある味わいが特徴で、地域ならでは、矢野酒造様ならでは特徴を活かし、心をこめて酒づくりをする、という、肥前、蔵心を具現化するような銘柄になっています。
次回は、その肥前蔵心の酒づくりでのこだわり、どのように個性を出されているか、ご紹介します!
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